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欧米植民地の
残虐さ

日本のアジア「侵略」を
批判しまくっている欧米諸国。
その日本が「侵略」する前のアジア諸国は
どういう状況だったのか。


アジア地図

●アボリジニ殺しは20世紀に入っても続き、ニューサウスウェールズ州立図書館に残された資料には、1927年の日付で「今日の収穫アボリジニ17匹」とある。当時は日曜日にみんなでアボリジニ狩りをしていた。
         《高山正之 正論2008/9月号》
   
※管理者注…「アボリジニ」とはオーストラリアの原住民のこと。


●インドネシア人は、家畜よりひどい存在として扱われていた。

◇鞭打ち・平手打ちは当たり前だった。

◇粗相をした2人の女性を裸にして、オランダ人農場主がベルトで鞭打ち、さらに裂けた傷口や局部にトウガラシ粉をすりこんで、木の杭に縛りつけて見せしめにした。

◇刑務所で過酷な労役を課せられている囚人が、オランダ人の農場より食べ物がいいからと、出所を拒んだ。
       《前野徹 「戦後歴史の真実」》


●米国はフィリピン人に「スペインの植民地支配を終わらせる」と嘘を言ってマニラに進出し、スペインに代わって植民地にした。話が違うと抵抗するフィリピン人を米軍は徹底的に殺しまくった。米上院公聴会では、殺した島民数を20万人と報告している。
       《高山正之 週刊新潮2006/4/20》


●インドは昔から木綿産業が盛んだったが、産業革命が起きると、イギリスのマンチェスターから木綿が圧倒的に安い値段で入ってくるようになった。インドで木綿を作って生活している何百万人という人たちが、これにより生活できなくなった。

●普通の独立国だったら、国は農民を保護するために輸入制限をしたり、関税をかけなければならない。しかし、輸入を拒否したくてもできないのが植民地だ。その上、イギリス政府は木綿を作りにくくするために、木綿の作り手たちを何万人も集めて、その手首を切り落とした!

●インドの木綿工はそのまま仕事がなくなって、餓死してしまった。ベンガルからインド洋まで、何百万人という白骨が並んだと伝えられている。
        《福田和也  魂の昭和史」》


●岡倉天心…「ヨーロッパの繁栄はアジアの屈辱である」 屈辱的に人員を供出させられたり、資源を買いたたかれたりして、欧州の繁栄を下支えしているアジアの現実がある。
    《松本健一 「 ぼくらの『侵略』戦争」》


●レーニン…「ヨーロッパの近代における繁栄は、植民地における豊富な資源の一方的略奪と、安価な労働力の収奪による」
     《石原慎太郎 「亡国の徒に問う」》
             (他著書「天才」)

 
●太平洋には2万の島々があったが、原住民は何の防備もせず、海から侵略者が来るなど予想もせず、昔ながらに平和に暮らしていた。
ここに白人海賊たちは鉄砲と十字架を担いでやってきて、片っ端から襲いかかり殺戮と掠奪を繰り返していった。

●無主物先取特権だとばかり、自分たちの土地にしてしまった。「誰も住んでいなかったので、早い者勝ちで自分のものにしたのだ。何が悪いか」という言い分である。先住民が住んでいたはずだが、彼らにしてみれば白人以外は人間ではなく、猿やけだものと等しい存在と見なして平気でいたのである。 

《清水馨八郎 「大東亜戦争の正体 それはアメリカの侵略戦争だった」》


●帝国主義や植民地主義には、きちんとした論理が通っている。「お前たちは劣等な民族である。劣等な民族は自ら自分の国を治められない。そのままにしておいたら、殺し合いや伝染病がはびこり、飢餓で死ぬ人も出てくるだろう。だから、劣等な民族のために優等な民族であるイギリス人が統治してあげる

●1900年の時点のイギリスは、天才も秀才もたくさんいたし、人格者も聖職者もたくさんいたはずである。しかし、論理というものがきちんと通っていれば、後に振り返っていかに非道に思えることでも、なぜか人間はそれを受け入れてしまうのである。

●帝国主義が「本当にいけないこと」として認知されたのは、第二次大戦が終わってからに過ぎない。それでも往生際悪くイギリスやフランスは、第二次大戦後もしばらく、何とか植民地を維持しようと無駄な努力を重ねた。
        《藤原正彦 「国家の品格 」》


西欧諸国がつくりあげた「植民地」とは、白人が主人で、ほかの人たちは奴隷に準ずる存在と考えればいいだろう。
    
 《渡部昇一 Voice2007/9月号》


●ベトナムなどは植民地統治の結果、固有の文字がなくなって全部ローマ字になっている。
  《三宅久之
    「『日本の問題点』をずばり読み解く」》
  (他著書「三宅久之の書けなかった特ダネ」)


●オランダのインドネシアに行った植民地政策は、愚民政策・貧民政策だった。そのため貧困にあえぐインドネシア人の平均寿命は、35才にまで低下したといわれる。
  《藤岡信勝 「教科書が教えない歴史〈2〉」》
(他著書「通州事件 日本人はなぜ虐殺されたのか」)


●植民地時代のインドネシア原住民とオランダ人の所得比は、1:13,000 だった。そうやってオランダの隷属下に置かれていた。
   《土屋敬之 「ストップ偏向平和祈念館」》


●英国は米国を犯罪者の流刑地にしていたが、その米国が勝手に独立したので、今度はオーストラリアを犯罪者の流刑地にした。

●住んでみると気候がいい、地味もいい。それで普通の市民も移住していった。もっとも市民といっても多くは食い詰め者・厄介者で、これがオーストラリアを1世紀にわたって血まみれの地獄に変えた。600万人いたアボリジニは、今30万人が生き残る。ナチスのホロコーストを凌ぐ大虐殺を行った結果だ。(50万人が住むタスマニア島では、その殆どが崖から突き落とされ、銃で撃たれて殺された)
      《高山正之 週刊新潮2005/12/29》


●別の曜日には彼らはアボリジニの女を犯した。そして妊娠すると豪州政府が出てきて母と子を引き離し、子供だけを白人世界に引き取る。いわゆる融離政策というものだ。
       《高山正之 週刊新潮2008/9/25》


●植民地時代の、まだ電気による扇風機のない時代のイギリス人は、寝室の天上に取り付けた巨大な団扇を室外から紐を引いて作動させるようにして、原住民の少年に終夜団扇を動かさせたという。

●シンガポールでは、イギリス人の女性は夜になると涼をとるために、人力車を雇い現地人に何時間でも引かせた。
        《三浦朱門 「日本の正論 」》


●植民地の反乱を宗主国は武力で鎮圧した。フランスは、サイゴンでは容疑者は裁判なしでギロチンにかけた。一方で阿片を売り、10歳以上の子供をホンゲイ炭鉱で働かせて人頭税を徴収した。
 《高山正之
  「歪曲報道 巨大メディアの『騙しの手口』」》


●オランダの植民地支配の残酷さ…

◇蚊に刺されて化膿し、血や膿を全身に流して働く現地人に、薬ひとつ与えなかった。

◇性病が蔓延して、街ゆく男たちの鼻骨が露出しているのは珍しくなかったが、衛生教育ひとつ行わなかった。(オランダ人だけは完璧に衛生的な環境で生活していた)

そのためであろう。日本軍が入ってきたときには、地鳴りがするような歓迎のどよめきが湧き起こったと言う。
       《小川義男 正論2005/12月号》


●仏印では、税が払えないと政治犯として監獄に放り込まれた。鎖でつながれた囚人には、老人や子供が多かった。働きの悪い者は処分しちまえというフランス人の思いが覗いて見える。獄死すれば葬式税も取れる。

●だからフランスは都市の数ほど監獄をつくり、それでも足りないからとサイゴン南の島コンダオに4つの監獄と拷問棟「虎の檻」を建てた。ここには屋根がなく、鉄格子越しに生石灰と水を素っ裸の囚人の上に撒いた。囚人はやけどを負い、さらに熱帯の太陽に焙られた。
          《週刊新潮2009/1/29》


●欧米列強の間接統治(例えば、イギリスがマレーシアを統治していた時)…
◇イギリス人は一番上にいるエライ人で、みな政府の高官になる。

◇その下にいて威張っているのはインド人で、警官はインド人の仕事だった。

◇インド人の下で商売していたのが中国人。

◇もっと下でグダグダ酔っ払って寝ていたのがマレー人。

…彼らマレー人を取り締まって嫌われるのはインド人、金を儲けて嫌われるのは中国人、その上に立って「まあまあ」と言っていたのがイギリス人、という植民地統治だった。
 《日下公人 「アメリカはどれほどひどい国か」》


●オーストラリアの代わりに囚人が送り込まれるようになったタスマニア島は、毎年4千人位、1853年までに6万9千人が送り込まれたという記録がある。これはイギリスから送られた囚人の約半数であるそうだ。

●タスマニアには旧石器時代のような生活を送っていた原住民がいて、ブーメランという唯一の武器(弓や矢を知らない)を使って鳥や獣を捕っていた。
このタスマニアの住民こそ、オーストラリア移民史における最大の「悲劇の民」であった。すなわち、白人の手によって「黒人狩り」が行われ、タスマニア原住民は根絶させられたわけである。

●その状況が『豪洲聯邦』(昭和17年9月刊行 宮田峯一著 紘文社→焚書)に残っている…

◇イギリス移民が大挙して原住民の居所を襲い、放火して付近一帯の土地まで焼き払い、そこに本国から持参した穀類の種子を蒔いたようなことは枚挙に暇がないほどであった。

◇数十名の原住民をカヌーに乗せて、沖の方へ漕ぎ出させた後、海岸から一斉射撃を浴びせて、あたかも鳥獣を殺すようにして殺戮したりした。

◇原住民を使嗾(そそのかして)して仲間同志の闘争を惹き起こさせ、彼らの絶滅を図った。

◇原住民が夜中沐浴している時や、野営の篝火を囲んで楽しく団欒している時、突然襲撃して、全団を皆殺しにするような行為もしばしばあった。

負傷者は脳を打ち砕かれ、赤子は火中に投ぜられ、まだぴくぴく動いている肉には銃剣が情け容赦もなく突き込まれ、原住民がその周囲で安眠するために取り囲んでいた篝火は、夜明け前に、彼等を焼く火葬の火となった。
《西尾幹二 「GHQ焚書図書開封1 米占領軍に消された戦前の日本」》

…欧米人が日本の「従軍慰安婦」を非難できるのだろうか? レベルが違い過ぎる。(管理者)



●蘭領インドシナの悪名高い「強制栽培制度」
…1830年に開始されたもので、植民地政府が現地農民にコーヒーや砂糖きび、藍、煙草、胡椒などを強制的に栽培させ、オランダはこれらの熱帯作物を大量にヨーロッパへ輸出して、莫大な富を築いた。

●藍や砂糖は水田で栽培されたから、当然米の生産は減り、農民は困窮していくことになる。
     《西尾幹二 「GHQ焚書図書開封2」》


太平洋戦争でフィリピンでは200万人死んだといわれている。しかし、そのほとんどはアメリカ軍の爆撃で死んでいるのであって、日本兵に殺されたというのは少ない。それも日本兵が殺したのは、一般人ではなく、戦闘でフィリピン兵を殺しただけである。

●ひどいのは、アメリカ軍は自分たちより先にフィリピン兵を出して日本軍と闘わせ、そのフィリピン兵が全滅した後やっと自分たちが出ていった。

●フィリピンの歴史学者は、そういうことを知っている。でも、日本兵が虐殺したと文句を言えば、日本政府は賠償だとしてカネを出してくれたので、日本のせいにしておいた方が都合がよかったのである。
     《水島総 チャンネル桜2014/8/16

●その方がアメリカも喜んでくれる。
           《高山正之 〃 》


        



●カール・マルクスには、イギリスのインド植民地化を論じた『イギリスのインド支配の将来の結果』という小論がある。(大月書店『マルクス・エンゲルス全集』第9巻所収) 

●そこでマルクスはこう言っている。「問題は、イギリス人がインドを征服する権利があったかどうかにあるのではなく、インドがイギリス人に征服されるよりも、トルコ人、ペルシア人、ロシア人に征服されたほうがましかどうかにある。イギリスは、インドで二重の使命を果たさなければならない。一つは破壊の使命であり、一つは再生の使命である。古いアジア主義を滅ぼすことと、西欧的社会の物質的基礎をアジアにすえることである」。

●要するに、マルクスは、インドが近代化されるにはイギリスによって植民地にされるよりしかたがないと言っているのだ。どうせインドはトルコかペルシアかロシアによって植民地にされるだろうから、それならイギリスによって植民地化された方がましだ。イギリス人にインドを支配する権利があるかどうかは問題ではないのだ、と。マルクスのこの冷酷なまでのリアリズムに西洋人の傲慢を見た。
        《呉智英 「健全なる精神」》
         (他著書「真実の名古屋論 」)



●フランスが植民地にしたベトナムでは、「住民には人頭税のほか結婚税も取った」・「重税に抗議するデモには、仏戦闘機が容赦なく機銃掃射を浴びせた。死んだ者を弔うと徴税吏が飛んできて、葬式税を取り立てた」(A・ビオリス「インドシナSOS」から)

●サマール島の民が米兵を殺すと、「報復にその島と隣のレイテ島の住民全てを殺した」・「3年かけて20万人を殺した頃、やっと島民の抵抗がやんだ」(米上院公聴会の証言)
      《高山正之 週刊新潮2005/6/17》


●帝国主義時代のイギリスは、アジア・アフリカ諸国の人々を劣等人種と見なしていた。だから、自由・民主主義・市場経済・法の支配などの西欧的価値観を植民地に輸出しようとは考えなかった。

●アーネスト・ゲルナー「民族とナショナリズム」…「第一次世界大戦後、イギリスの委任統治領となっていたイラク国家は、襲撃者たちが遠征の前と後とに最も近い駐在所に報告し、殺人と略奪とのきちんとした官僚的な記録を義務として残すという条件の下に、部族による襲撃を大目にみていた」
→しかし、日本はイギリスのような二重基準を採らなかった。 
       《佐藤優 「日米開戦の真実」》


●沖縄戦でアメリカ軍は黒人を先頭に立てた。イギリスはネパールのグルカ兵を使った。他の連合軍も植民地の人たちを防壁に使った。
      《野田明美 諸君!2007/10月号》


●英仏の植民地統治は間接統治で、その点では手馴れていた。例えばベトナムやカンボジアはフランスの統治した国。しかしフランスとは敵対関係にない。かつてミッテラン大統領が訪問すると、両国とも大歓迎をした。かつてかなり搾取されていただろうにと不思議で、現地に行った時いろいろ聞いてみた。

●そうすると、英がインドを、仏がインドシナを統治した際に直接統治はしなかった。これが日本との決定的な違いである。農場などはプランテーションを作って、宗主国側の管理者は別荘みたいな所で優雅に暮らすが、直接的に民衆を支配する警察官や徴税吏は他国の人を使う。自分たちに反感の矢が向かないためのテクニックである。

●一方でカンボジアは、とても反ベトナム感情の強い国である。カンボジアが親中、ベトナムが親ソということもあって中ソ対立を反映して国境紛争も起きているが、基本的にはそうした対立よりも植民地統治の手法に根ざすところが大きいのである。

●フランス人がカンボジアを支配する時に、徴税吏や検察官としてベトナム人を雇ったためである。カンボジア人が税金を収めない時に、裸にしてムチ打ちにしたり、手を縛って連行したのはみなベトナム人だった。フランス人は雲の上にいるから、後ろで糸を引いているのが目には見えない。
  《三宅久之
   「『日本の問題点』をずばり読み解く」》


●「米西戦争でたくさんのフィリピン人が殺されたんです。フィリピンは白色人種によって全てを奪われたんですよ。
スペインが去った後、アメリカはフィリピンに英語を強要し、アメリカの植民地にしてゆきました」
フィリピン人通訳のマリオ・ピネダ氏は、フィリピン人は白人国家間の覇権争いの犠牲者だとして続けた。

●「アメリカは、アジアにおける唯一の植民地フィリピンを徹底的に弾圧しました。アメリカの国旗に頭を下げない人々は皆グアム島に送られたんですよ。グアム島の人口の30%がフィリピン系である理由にはこうした歴史的背景があります」

●「かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見てください。立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。これは日本の“教育”の成果です。ですが、アメリカの統治を受けたフィリピンでは、人々は鉛筆すら作ることができなかったんですよ。アメリカが自分達の作ったものを一方的にフィリピンに売りつけてきたからでした」
そしてピネダ氏は、「フィリピンはいまでもアメリカのパペットレジーン(操り人形)ですよ」と呟き、苦笑いを浮かべるのだった。

《井上和彦 「日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争」》



●ビルマは19世紀に三度にわたってイギリスに侵攻され、1886年に英領インドの一州として植民地にされた。ビルマ国王夫妻は、これも英領スリランカに流され、その地で死亡する。王子は処刑され、王女はなんとイギリス軍の士官の従卒に与えられてしまう。
   《日下公人 「日本はどれほどいい国か」》



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「日韓併合への道」
をアップしました。是非参考に!


 


   【アジア以外の植民地では…】



●コロンブス(スペイン)がやったことといえば、いたずらに中南米の原住民インディオを略奪し、殺害することだけだった。コロンブスは一介の冒険者にすぎない。有益な植民地事業の糸口は作れなかった。

《祝田秀全 「忘れてしまった高校の世界史をマンガで復習する本」》



●アフリカの悲劇---貧困、飢餓、部族抗争、暴虐な独裁政治、このまず全部が植民地支配に起因するものである。
         《呉智英 「健全なる精神」》


●韓国併合時代、列強はどんなことをしていたか…

◇イギリス…オーストラリアのタスマニア人(3千人以上)を皆殺しにしている。

◇ドイツ …ユダヤ人のジェノサイドを試みる。

◇アメリカ…奴隷の売買をしたり、買ってきた奴隷と白人とを結ばせ、子供を産ませて大儲けしたりしていた。(奴隷牧場)

…これらに対して日本は、35年の朝鮮統治を通じて、民衆を獣以下の扱いにしたことは一度もない。
     《小室直樹 「自ら国を潰すのか」》
    (他著書「国民のための戦争と平和」)


●アイルランドの受難史は、語って語り尽くせない。イギリスの不当な支配は12世紀に始まる。
エリザベス女王(一世)はイギリス貴族を入植させた。イギリスの歴史教科書では大英雄とされるクロムウェルは、アイルランドを攻めて数千人を虐殺した。宗教・政治・経済、あらゆる面でイギリス人はアイルランド人を掠奪し搾取した。

●1801年、イギリスに合併された後に起った1845~49年のジャガイモ飢饉。数十万が餓死したが、イギリス地主は平然と小作料を取り立て続けた。死ななかった者は新大陸に棄民された。

●後年、皮肉にもその人々が、テロによりイギリス支配に抵抗するIRAの強力な後援者になった。
    《徳岡孝夫  「『民主主義』を疑え!」》
       (他著書「ニュース一人旅」)


 【アメリカはこういう教科書にしたらどうか】

●ヨーロッパの宗教戦争や国内の政治紛争のため、ヨーロッパに、はじめのうちは特にイギリスに住みにくくなった人たちが(悪く言えばイギリスで食い詰めた連中が)、インディアンが住んでいるところに勝手に侵入してきた。

●はじめ少人数の頃は、仲良くやろうという態度で接していたが、どんどん入植する白人が増えてくると、鉄砲で脅したり、ウィスキーで酔わせたりして片っ端からインディアンの土地を奪っていった。

●反抗する部族があれば、これ幸いと大虐殺を繰り返した。そしてバッファローなどインディアンの生活基盤となる動物を殆ど絶滅させ、インディアン自体を無力にした。

●広い土地の農業に手が足りないと、アフリカから大量の黒人を奴隷として輸入し、その貿易によってボストンは繁栄し、またその奴隷を使って南部は豊かになった。

●イギリスに防衛を任せながらも、税金を払いたくなくて戦争になったが、イギリスと敵対していたフランスが助けてくれたので勝つことができた。

●独立宣言では「すべての人間は神によって平等に創られ…」などと宣言したが、一応平等だったのは白人の男性、特にアングロサクソン系の男性であり、女性や黒人やインディアンやヒスパニックは平等に扱われなかった。特にインディアンの土地は奪っても泥棒と言われなかった。

●独立宣言文は、巨大な嘘と偽善の文書である。後にテキサス問題を悪用してメキシコシティを軍事占領し、テキサスを自国に編入し、アリゾナ・ニューメキシコ・カリフォルニアなどのメキシコ領を安く売らせて自国のものにした。太平洋ではハワイ王朝を滅ぼし、フィリピンを植民地とした。

●日本が台頭してくると、日系市民を迫害し、土地の所有を禁じ、更にホーリィ・スムート法によってアウタルキー(自給自足経済圏)政策をすすめ、日本がそれに対抗しようとする努力を潰そうとした。そして遂に石油などの禁輸によって、日本の軍隊のみならず経済まで絞め殺そうとした。

●そして戦争になると、日本の大都市無差別爆撃や原爆によるホロコーストを実行した。1日のうちに殺された市民の数は、アウシュビッツ以上である。しかも国際法にもいかなる法律にも基づかない東京裁判をやって、日本を共同謀議による侵略国家とした…。
       《渡部昇一 正論2002/11月号》



●英米蘭などの領土拡張は、生きるためのやむをえぬ進出ではなくて、むしろ一種の使命感の満足であり、ほとんど道楽のようなものだった。
     《竹山道雄 「恐れずおもねらず」》


●西欧列強というのは、この何世紀か帝国主義の時代から植民地を多数く持っていたし、その支配する術をよく知っていた。それを日本は持っていなかったから、占領地で批判されるべきことを行い、逆にアメリカは日本で成功した。

●近代日本の最大の欠点というのは、植民地支配に関して、何のノウハウももつ必要がなかったということだろう。(ノウハウをもっていないということは、実は本来は“健全な国家”だったということなのだが) 

●ところが、日本はいきなりそういう未経験の場に出くわした。ノウハウもないから、かなり混乱してしまうわけだが、米英蘭はそのノウハウが長い植民地支配で身についていた。アメリカはそれほどではないともいえるが、イギリスはどのように一つの民族を、一つの国家を植民地支配していって、精神まで骨抜きにしてしまうかということに関しては、超ベテランだったということだ。
         《保阪正康 「日本解体」》
(他著書「あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書」)






●人間の尊厳を無視した冷酷なまでの植民地統治を、なぜ彼らは痛痒も感じずに実行し得たのか。
会田雄次氏が『アーロン収容所』の中で触れているように、端的に言ってしまえば、彼らにとって有色人種は「人間」の範疇に入っていなかったからである。会田氏が捕虜の雑役として英軍士官室を掃除中、その部屋の主の女性士官が彼の目の前で裸になって着替えを始めた。「日本人を含むアジア人を犬か鶏か、家畜なみに思い込んでいる。だから裸を見られても別に羞恥心も働かない」と会田氏は言う。

●そういう目で英国の植民地施策を見ると、なるほどサーカスあたりの動物の調教に似ている。人間(白人)には絶対、勝てないことを鞭(弾圧)で十分、思い知らせて反抗を押えこみ、好ましい植民地人をつくるためには人種交配も平気で行う…。
  《高山正之 「日本はどれほどいい国か」》


●そもそも、満洲事変の起きた1931年は、フランスでも植民地帝国主義が爛熟を極めたとも言える年であった。パリではこの年、「国際植民地博覧会」なる一大イベントが大々的に開催された。これは、それまでの1世紀にわたるフランスの植民地事業を総括し、フランスと植民地が不可分であることを国の内外にアピールするのを目的とした「フランス植民地帝国主義の集大成」といった趣をなすものであった。

●会場にはアンコールワットをはじめ、各植民地の著名な建造物の巨大な複製品が築かれていた。さらに、各植民地から動員された現地住民は見世物同然に来場者の目に晒されるように配置され、民族に優劣の序列をつけるようなパネルも展示されていた。
  《大岡優一郎
    「東京裁判―フランス人判事の無罪論」》


●アフリカの悲劇---貧困、飢餓、部族抗争、暴虐な独裁政治、このまず全部が植民地支配に起因するものである。
        《呉智英 「健全なる精神」》


●西洋がほんとうに文明だというのなら、未開の国に対しては慈愛を本にしてゆっくりと説明しながら開明に導いてゆくのが本当なのに、実際はそうではなく、相手の国が未開であればあるほどむごい残忍なやりかたで自分の利益をはかっているではないか。 
      
《奈良本辰也 「西郷隆盛語録」》


●伝説の女性歌手ビリー・ホリデイが歌った「奇妙な果実」の意味するところは、木につるされた黒人の遺体である。白人の反感を買ったり、犯罪の疑いをかけられたりして、大勢がリンチを受けて殺された。

●ビリーが歌った20世紀まで蛮行は続いた。信じがたいことに、予告されて見せ物になり、女性や子どもまで集まったという。撮影した写真は絵はがきに使われた。
      《天声人語 朝日新聞2014/11/27》


●英国の植民地政策は狡猾を極めた。まずインド農村の税制を強化、生活難におとしいれ、次にマラヤ、ビルマ(現ミャンマー)など周辺地のゴム園、茶園の賃金水準をインドの3倍以上に設定、インド人が海外出稼ぎに出ざるを得ないように仕向けるのである。

●この政策実現により各地の商品作物の栽培は急増、英国の貿易輸出額の3分の1を占めるに至るのである。
      《深田祐介 産経新聞2008/1/17》


 ※関連ページ
日韓併合時の「日本の統治」と比較してみよう

【アジア侵略】

欧米植民地の残虐さ/日本人にはできない行為
アジアの華僑/欧米植民地に巣食う者
アジアで歓迎された日本軍/白人支配者を駆逐する軍隊
アジア諸国の独立/現地人に軍事訓練を施す侵略などあり得ない
親日のアジア/実はアジアはほとんどが親日国家